坂本名物本家鶴喜そばについて

077-578-0002 営業時間/10:00〜18:00 2023.2月まで…元日・第3金曜(11月は無休、1月は第3木金連休)2023.3月から…元日、毎月最終月曜日(8月は最終月火連休、11月は無休)

手打蕎麦鶴㐂について

「坂本」には世界遺産延暦寺や坂本城跡があるだけではなく、織田信長が一番強いと認めた穴太衆積みの石垣が至る所に現存しているため戦国時代の防御技法技術を今でも手に触れ間近で見る事が出来ます。この坂本の地に一七一六年、延暦寺の僧侶鶴屋喜八が参詣される方々へのおもてなしとして坂本そば(観光庁参照)を始めました。

時代の流れと共に製麺機の登場で蕎麦屋は機械打ちに変わっていきましたが、当店はそのまま手打蕎麦職人により技の継承をしていくとしたものの、百二十席もの客席には職人が足りず、日本文化の継承につきものの事態に何度も襲われます。儲け無し、後継者不足、十年掛かると言われる修行中での挫折、体力の限界。結果幾度となく機械打ちへの誘惑が常にのしかかって来るのです。しかし宮家御用達の看板を掲げ、延暦寺側から逆に許可状看板を頂いている以上は、人が敢えて手間暇かけて心を込めた唯一無二の一本を作らないといけない使命があるのです。この三百年の歴史を終わりにしてはいけない、と機械打ちへの誘惑を断ち切る為、屋号をも「手打蕎麦鶴㐂」(てうちそばつるき) に変えた際、本当の覚悟を決めました。これでもう迷わない、いや迷えません。機械の様に最初はうまく打てなくても、とにかく心を込めた一本を。「継続は力なり」技を人が人に伝え、その伝える事をやめる事なく三百九年間継承し続ける。三百九年の継承に携わった全ての職人の方々や先代の深い思い等、江戸時代から続く日本文化の継承の過程に裏打ちされた目に目えない歴史の事実が重みとなって一本一本にずっしりと入ってくる。この三百九年の全てが入った唯一無二の一本こそ最高のおもてなしとして。坂本で千二百年続く不滅の法灯の継承にも油を奉納し協力してきた先代の思いもいつも入っています。日本で四番目の手打技法継続店の歴史も終わりには出来ません。地方の人手不足で無人のレジさえ登場し、何でも発信出来てしまう便利な今、それまでの当たり前を続ける事が難しくなってきました。いつでも機械に変えるのは簡単、しかしそれを変えずに人の温かみのある日本文化の継承が今とても大事なのでは。敢えて手間暇かけて心を込めて作った一本の蕎麦を三百九年継承されてきた唯一無二のつゆと共に人が歴史の語り部も担いながら心を込めてお届けする。そして最後は人が帳場に立ち、わざわざ当店に御足労頂いた事に感謝し、心を込めて「ありがとうございました」と言う。こんな当たり前の事を継続し続ける事も大事。日本文化の集大成であった江戸時代の目に見えない文化の継承。これぞ手打蕎麦鶴㐂の最高のおもてなしとさせて頂きます。

手打ち「坂本そば」の技を継ぐ店は当店最後の一店舗となってしまいましたがやっと十代目まで何とか繋いで来る事が出来ました。

本当に皆様のお陰です。ありがとうございました。

二〇二五年吉日 坂本四丁目 手打蕎麦鶴㐂

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登録有形文化財に指定 ※平成九年五月二十三日

築130年を越える母屋は、そばだけでなく、当時夜は川魚や精進料理でおもてなしできるよう建てられました。入母屋造の総二階建で、濡れ縁には折鶴がくりぬかれ、当時としては、少々華やかな仕様になっています。

当初桧皮葺だった唐破風が、消防法によって、今では銅版になっています。

2002年大屋根の修復工事を行い、2006年初春には母屋一階席とお座敷を改装、中庭も弊店より古い百日紅や平安時代のものといわれる灯篭を活かし、鶴や坂本をキーワードに、手打蕎麦鶴㐂をよく知る辻井造園さんによって生まれかわりました。

2021年に厨房を全面改装し、レジまわりを創業当初の帳場台をイメージした造りにいたしました。

初代当主、鶴屋喜八の味と技は、今も八代目と九代目に受継がれ、皆様のお越しをお待ちしております。

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手打ちにこだわる本家と機械打ちでの店舗展開をはかる分家とは、経営スタイルが異なるため七代目からは別会社となりました。手打蕎麦鶴㐂は代々受け継いだ手打ちそばを守るため、今もなお一店舗のみでの営業となっております。

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